旅先で出会った、忘れえぬ人たち(3)



437 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:25 id:RQTiKIxY
5年ほど前のこと。
林道ツーリングを初めたばかりの私は、初心者のくせに「いけいけどんどん」てな感じで、コースの難しさも考えずダート路を走り回っていた。

とある夏、私は仙台付近の山岳路へソロツーリングに出かけた。
それほどハードな道ではなかった。この程度なら都内でもありそうだったし、もっとハードな山道をいくつも越えたことがあった。
その道は、行き止まりだった。仕方なく、引き返した下りカーブでのこと。

一瞬の油断と傲慢が、私とマシンを谷へ突き落とした。

「谷ィ落っこちてoffライダーは一人前」と言われる。
しかしそれは、落っこちてもちゃんと対策がとれてからの話。
初心者のくせにソロで出かけた私には、技術も経験も装備もない私には、なにもすることができなかった。

なんとか体と荷物だけは、林道まで引き上げることができた。しかし愛馬は、もうどうしようもない。



438 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:26 id:RQTiKIxY
悲しかった。このまま相棒を谷へおいたまま、東京へ帰るのかと思うとつらかった。
しかも実にくだらないことに、ぼんやりしているうちに腹だけは減った。
今考えても本当に自分は馬鹿かと思う。
コッフェルを出し、飯を炊き、馬鹿みたいに食っていた。

ぼんやりとへたり込んでいてから、半日ほどが過ぎた頃。日は陰り始めていた。
全く交通のない林道に、どういう訳かユニック(クレーンを装備したトラック)がやってきた。
私は両手をぶんぶん振って、道をふさぎ、「止まれー、止まって、ください!」と叫んでいた。

それは、いずれこの道を改良することになっていた、土木会社の車だった。
本格的な工事を始める前に、調査のため訪れたという。

ドライバーと助手に話すと、「ああ、いいよ」と簡単に引き上げを請け合ってくれた。
クレーンの先のカギを握って、私は谷に降り、愛馬にそれを固定しようとした。
しかし、中年のドライバーは、若い(あんちゃんと言っていい歳の)助手に、
「おまえ、固定やれ。」と言った。
あんちゃん(感謝を込めてあえてこう言わせていただきます)は、「シロートには無理」と言いながら、絶妙のバランスをとるように、我が愛馬にロープを巻き付け、クレーンのカギにセットした。
あっという間にセローは引き上げられた。

「どうか、お名前と会社名を。改めてご挨拶とお礼に伺いたいのです」
と何度も言う私。

不機嫌ともとれる顔をしたまま、どうしてもそれを何度も固辞する二人。
「東北人はわかりにくい」といわれるが、そんなことはない。彼らはただ、奥ゆかしいだけなのだ。

「気をつけて」
とだけ言い残し、彼らは去っていった。

マシンには何ら故障もなく、私にも何らケガもなかった。
だが、意気消沈した私は、その足で家へ帰るべく、東北道に乗った。



439 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:28 id:RQTiKIxY
数時間後、一人暮らしの、家へ帰った。
そこで、もっと驚くべきことがあった。

留守電のランプが点滅していた。
メッセージを再生した。
それは、上京してから、私を実の息子のようにかわいがってくれた、さるバイク乗りが、病でなくなったとの、奥さんからの知らせだった。

本当にかわいがってくれた人だった。
右も左もわからない、ガキでおのぼりさんの私に、バイクを始めいろいろなこと、男として、大人としてしなくてはいけないことを教えてくれた、真の江戸っ子だった。
尊敬できるおじさん、先輩、そしてとても及ばない、ライダーだった。

丁度、私が谷に落っこちる直前、亡くなったという。

私は、何の宗教も信じていない。
今でも。

しかしこのことばかりは、例外。

「俺、今度あの世に行ン。
 葬儀、来てくんねェ。
 シま(ひま)ねェかも知れねぇけど。
 頼むよ。

 ついでに、ユニック呼ンどいたン。」

…ということだったと思う。
谷に落っこちていなかったら、私は恩人の葬儀にでられなかった。
落っこちたままだったら、私は恩人の葬儀にでられなかった。