【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4



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去年の春、弟が原因不明の病で入院した。

最初の病院では「一生治らない病気だ。」と言われたそうだ。
職場にいた私に父が電話をくれた。
電話の向こうでは泣いている母の声が聞こえた。
頭が真っ白になり、その後どうやって家まで帰り着いたのか覚えていない。

あきらめられなかった父は別の病院に弟を連れて行った。
前の病院からカルテを回してもらって即検査という運びになったのだが、
担当医がたまたま空いたベッドに弟をねじ込んでくれ、即日入院になった。
弟はそのころ体力的に限界状態になっていたらしく、通院は無理だったようだ。

私はその週末に弟の見舞いに行った。
入院したといっても病気の原因は分からず、毎日検査が続いていた。
入院前に自宅で2ヶ月以上寝込んでいたのだが、その頃と変わらず毎日高熱を出し、
顔も体もげっそりとやつれていた。
関節のいたるところに水がたまり、満足に歩くことも出来ない。
土気色の顔、ぶるぶると震える手。
食欲はまったくなく、苦しそうに横たわる弟がいた。

釣りとタバコとパチンコが好きな、私の知っている元気な弟の姿はそこにはなかった。

それでも苦しくてたまらないはずの弟は、私に心配をかけまいとして強がりを言っていた。



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面会時間が終わり、両親と病室を出てから涙が止まらなくなった。

「代われるものなら代わってやりたい。」
なんていう台詞はお話の中だけのことだと思っていたが、
本当に代わってやりたかった。
なんで弟がこんな目にあわなきゃならんのか理解できなかった。



弟を永遠に失ってしまうんじゃないかと、怖くてたまらなかった。
その日実家に戻ると、テレビの上に釣り上げた魚をぶら下げた元気な弟の写真が飾ってあった。
母が、「また、この写真みたいに元気になれる日が来るのかな」と、ポツリとこぼした。

たまらなくなった。
二人で号泣した。
横で父も真っ赤な眼をしていた。



それから2ヵ月後、幸いにも弟は退院することができた。
病気は一生モノの特定疾患の一種だったが、最初の病院で言われたようなものではなかった。
いつ再発するかは不明だが、薬さえ飲んでいればとりあえず日常生活に支障はないらしい。
まだまだ安心できないながらもひとまずは落ち着き、自宅療養することになった。

その後、いろいろ忙しく実家には帰れなかった。
弟の経過が気がかりだったが、電話を入れることくらいしか出来ないまま時間がすぎてしまった。



今年の夏、実家に帰ると真っ黒に日焼けした弟がいた。
数日前に釣りに行ったと言い、どのくらいの魚を釣り上げたかを楽しそうに語っていた。
テレビの上にはまだ、あの写真が飾ってあった。それと弟を見比べ、心の底からホッとした。

横では母がうれしそうに笑っていた。
元気で生きているって、それだけでものすごく親孝行だと思った。

弟が元気になって、本当によかった。