一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 56 :774号室の住人さん :2005/08/21(日) 22:28:49 ID:6iXium/h
- 反抗期で生意気だった。
親が産んでくれたから、今ここにいるんだよね。
そんなことも気付けなかったなぁ。
親には悪態ばっかついて、いっちょまえのことばかり言って
一人で大きくなったみたいなこと、平気で。
お父さん、お母さん、ありがとう。
- 55 :774号室の住人さん :2005/08/21(日) 22:22:50 id:puQ7HSxG
- 本当だね。
一人になってきづくことっていっぱあるよ。
さびしくて辛いけど、
きづけて良かった。
お母さんありがとう。
一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 472 :774号室の住人さん :2006/01/17(火) 06:07:17 id:WxPw+aam
- 母子家庭で育って、30目前にして初めての一人暮らし。
オレはどうにかこうにか生活している。
日本じゃないので言葉の問題もいろいろあるけど、どうにか暮らしている。
今の時代、メールがあるから日本の友達やカーチャンとも連絡がとれる。
だから全然さびしくない。
別にホームシックになんかなっていない。
なるわけがない。
自分で望んだ異国での生活だし。
仕事は実際楽しいし、生活も楽しい。
そう思っていた。
ある日カーチャンから段ボールが届いた。
久しぶりに見るカーチャンの字。見慣れた達筆。
ああ、この字って小学校の頃自分の身の回りのものに書いてあったなあ。
なくすといけないからって、何にでも名前書いてくれてたなあ。
なんだかひさしぶりだなあ。
一人きりの部屋でちょっとだけしんみりした。
段ボールの底に手紙も入っていた。
小さなカード。
「元気にしていますか。
寒いと思うのでトレーナーを送ります。
何か必要なものがあればいつでも教えてね。
また会える日を楽しみにしています」
泣いた。号泣した。
短い文章だけれども、カーチャンの愛情がぎっしり詰まっているのがわかる。
正直言ってこの年まで気がついていなかったのかもしれない。
遅すぎるという奴は笑ってくれ。
気が済むまで笑ってくれ。
指差して笑ってくれ。
「親孝行のできない奴は所詮何にもできない」ってのはきっと真実だ。
オレはオレの母親がカーチャンであったことを誇りに思う。
直接言うのは、それでもやっぱり照れくさいからここで言わせてほしい。
カーチャン、今までありがとう。本当にありがとう。
心配ばかりかけてしまって、ごめんなさい。
こっちでの仕事が終わったら、オレの愛車でいろんなところに連れて行ってあげるから。
どうか元気でいてください。
時間があったら、こっちに遊びに来てください。
おいしい食べ物をたくさんご馳走するからさ。
一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 438 :774号室の住人さん :2006/01/11(水) 01:26:56 ID:31dH3p0e
- 今まで当たり前だと思ってきた家族の優しさ。
実はちっとも当たり前なんかじゃなかったことにようやく気付いた。
お父さん、最初は反対してたけど、お金のかかる東京の私立の大学に行くことを許してくれてありがとう。
休日も返上で一生懸命働いてくれてありがとう。
お母さん、帰省したとき、いっぱいおいしいご飯食べさせてくれてありがとう。
お母さんが自分のために高いものなんか買ってるの見たことないのに、
「なんか欲しいものある?足りないものはない?」って私のことばっかり気にして…。
いざ会うとなんか恥ずかしくて素直に言えないけど、本当に感謝してます。
ありがとう。
一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 292 :774号室の住人さん :2005/12/09(金) 00:19:27 id:JLROVQF7
- 小さいときに母親を亡くした年の離れた妹たち。
私が代わりに世話をしてたから甘やかしてしまって
何にもできない子にしてしまったと思ってた。
でもこの前実家に帰ったらご飯を用意してくれてて
それが私のと同じ味だった。
今の部屋に帰るとき「これ飛行機の中で食べて」と
手作りのお弁当を渡してくれた。
飛行機の中で包みを解くと小さい手紙が入ってた。
「仕事がんばってください。ちょっと痩せたみたいだから
ご飯をしっかり食べて体に気をつけてください」とあった。
ちゃんとした子に育っててうれしかった。
一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 529 :774号室の住人さん :2006/02/23(木) 00:07:37 id:BlHsKfTi
- 一人暮らしをして3年目。久しぶりに実家に帰った。
父親は単身赴任、母親は病気がちだったが一人で暮らしてた。
久しぶりに母親と数日過ごし帰ることに。帰り際母親の顔からは涙がなぜかあふれてた。
また遊びに戻ることを決意し別れた。しかし一人暮らし先に戻った翌日病院から一本の電話が。
「○○さん(名字)が息をひきとられました」
との電話。母親は自分が翌日この世からいなくなるのを知っててあの涙を流したのか・・・。
号泣した。生きてきて一番泣いた。
でも母親がなくなる直前に親孝行をできてよかったと思う。
それまでは25にもなって反抗してきた俺だから。
言い方が悪いかもしれないが最後に孝行ができて本当に良かった。。
最後の笑顔を見れて本当に良かった。
親は尊いかけがえもない存在。それを深く知ったあの日。
お母さん、今まで本当に、ありがとう。。
一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた 其1
- 176 :774号室の住人さん :2005/09/25(日) 22:45:47 id:ndmFJGEw
- この連休中に、2年ぶりにお母さんに会いに行った。
母の手料理は、おいしかったなあ・・
あっという間の三日間だったけど楽しかったよ。
母の手料理、母の笑顔、久しぶりに見れて良かった。
後姿のお母さん。だいぶ白髪が目立ってきて歳をとったなあ・・と痛感させられたよ・・
いよいよ帰りの電車に乗る前、母が「辛かったらいつでも電話してね。」と言ってくれた・・
帰りの電車の中では、涙ボロボロでしたよ・・
普段は会社でも独りで、辛いこと、嫌なこと、叱られっぱなしで、凹みっ放しな毎日だったけど、
私は、独りじゃない。母が、影で支えてくれているんだと・・
お母さん。ありがとう。お金をためて、いつか一緒に暮らせる日が来るまで頑張るよ。
※じいちゃん、ばあちゃんの思い出※
- 36 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/09(水) 17:20:45 id:wksXYbnO
- 思い出って言うか最近(先月)のことなんだけど
うちから2キロぐらい離れた所で夏祭りがあってて、
夜 窓から花火を見ていたら、庭に誰かが居た。
よく目を凝らしたら、じいちゃんがばあちゃんの手を引っ張って、
うちの庭で花火がよく見える場所まで連れてきていた。
絵に書いたような九州男児のじいちゃんは頑固で偏屈で、
孫の私にも説教ばっかだけど若い時苦労した反動か
早くボケてしまったばあちゃんに凄く優しい。(誰も居ない時は)
婆ちゃんはもう、
子供も孫も、
じいちゃんも、
周りに居る全部の人がほとんど分からなくなっている。
じいちゃんが手を繋いだら
きっとばあちゃんは知らない男の人が
手を繋いできたと思ってひどく脅えるだろう。
けれど、じいちゃんはそんなもんに負けない。
二人はずっと手を繋いだまま花火を見ていた。
(多分そうしてないと婆ちゃんはすぐどっかへ行っちゃうから)
私は花火じゃなくてそれを見て、
もの凄く綺麗だと思った、
そして、ボケる前の婆ちゃんは花火が凄く好きだった事も思い出してた。
家の中に帰ってきた婆ちゃんに「花火綺麗だった?」と聞くと。
「さっきの??えらい綺麗かったばい、
花火、って言うと?」
って笑ってた。
じいちゃんは私に背を向けたままシャツ一枚で寝転んでた。
なんだか、私リアル厨房だけど、
あの二人が手を繋いでいる光景は一生忘れない気がした。