雲行く月の夜空に



93 :J :03/09/24 00:02 ID:???
 たまたまこの板来て、たまたまこのスレを覗いたので足跡を残していこう。

 俺の親父は威厳がありまくっていた。子どもの頃は怖い存在だった。
実は、別々に住むようになった今でも怖い。俺の友人からは
「おまえの親父さんを外に出すな」とか
「親父さんに電話を取らせるな」などと言われるほど恐れられている。
元や○ざの義兄(俺のお袋の兄)からはなぜか「兄貴」と呼ばれていたりする。
特に暴力をふるうとか他人に罵声を浴びせるとかではなく、存在自体が怖いのである。

 そんな親父が一度だけ涙を見せた事がある。



94 :J :03/09/24 00:02 ID:???
 今から四年前、体調を崩した親父が都内の入院した。ガンだった。
俺はお袋からそのことを聞いて知っていたが、親父は知らなかった。
だから、お袋からは固く口留めされた。
 手術の二週間ほど前だったか、地方に住んでいる俺は病院に見舞いに行った。
病室(個室だった)に入り、たわいもない世間話をしたが、
話題がそんなにあるわけもなく、すぐに沈黙が訪れた。
親父はベッドに座りなおして、言った。
「なぁ、俺、ガンなんだってさ……」

 親父の目から、涙が大量に溢れ出した。
俺が生まれて初めて見る親父の涙だった。



95 :J :03/09/24 00:04 ID:???
 親父は自分の病気を知っていた。そのこと自体はさもありなんと思ったが、
親父が見せた涙には戸惑うことしかできなかった。頭の中が真っ白になった。

 お袋の話によると、その日から手術の日までずっと泣き通しだったらしい。
しかも、自分が死ぬ事よりもお袋や俺や妹のことを心配して泣いていたそうだ。

 そうして手術の日はやってきた。十三時間ぐらいかかっただろうか、
手術が終わり、俺とお袋は執刀医に呼ばれた。ステンレスのトレイの上に
切除された患部が乗っていた。さっきまで親父の体の一部だったモノ。
拳四つ分ぐらいの脂肪の塊のようなモノだった。
執刀医からはこう言われた。
「目で見える患部はすべて切除しました。しかし、再発の恐れがあります」
と。



96 :J :03/09/24 00:05 ID:???
 それから抗ガン剤による治療が始まった。
胃が食糧を受けつけず、親父はみるみるうちに痩せていった。
髪の毛が毎日のように抜け、とうとう坊主になってしまった。
見舞いに行くと親父は口癖のように
「俺、もう死ぬから」
と繰り返した。俺はそんな親父の泣き言は聞きたくなかった。
頭では人はいつか必ず死ぬということはわかっていても、
自分の親(しかもあの恐怖の親父)はいつまでも生きていると
根拠もなく思っていた。友人に相談すると
「あの親父さんが死ぬわけねえじゃん」
という答えが返ってきて勇気づけられた。



97 :J :03/09/24 00:06 ID:???
 手術から一ヶ月ほどしたころだろうか、親父は家に帰って来た。
退院祝いということで、俺と妻も実家に帰った。
親父は見るも無残に痩せこけていた。冗談抜きで今日明日にも
逝ってしまうのではないかと思うくらいに。
親父はそこでもこう言った。
「俺、もう死ぬから。覚悟しておけよ」

 俺はつとめて明るく振舞い、わざわざ親父に合掌のポーズを取らせ、
「モノホンの生臭坊主にしか見えねえよ。そんなのが死ぬわけねえじゃん」
などと言いながら、痛々しい親父の姿をカメラに収めたりした。
今考えてもとんでもないことをしたもんだと思う。



98 :J :03/09/24 00:07 ID:???
 この時点で、俺は諦めていた。本人は死ぬ死ぬと繰り返すし、
はたから見ても明らかな病人である。
いくら自分の親は死なないと思っていても現実は上記の状態だ。

 そんなとき、妻が妊娠していることがわかった。
一も二もなく親父に報告し、
「孫が生まれるんだ、あと一年間は死ぬんじゃねえ。
 死ぬんだったら孫を抱いてから死ね」
と喝を入れた。

 そこからの親父の快復力はただならぬものがあった。さすが恐怖の存在である。
これで大丈夫だろうと思うと同時に、奇跡ってのはあるもんだと思った。
恐れていた再発も、とりあえずはなく、親父は無事に孫を抱くことができた。



99 :J :03/09/24 00:10 ID:???
 しばらく前に、俺は親父本人からガンが再発したことを知らされた。
涙を流すでもなく、やけに穏やかな表情でたんたんと話してくれた。
予定では来月の末に再手術をするらしい。今度は前回よりも大変そうだと言っていた。

 実は、妹の出産日も親父の手術と同時期、来月の末なんだわ。
妹の子どもも親父に抱かせてやりたい。でないと俺は妹に
「兄ちゃんの子どもばっかりずるい」と一生責められることになる。

 今、このスレ覗いてあのときのことを思い出し、ベランダに出てタバコに火をつけた。
雲に覆われ月無き夜空に紫煙がたゆたった。
流れていく煙を見ながら、俺はまた奇跡が起こるんじゃないかと思っている。