雲行く月の夜空に

1 :名無しさん? :03/09/19 20:57 ID:???
父親の運転する車に乗って、国道を走っていた。
母と妹は家にいて、翌日は確かピアノの発表会だったと思う。
二人はずっとピアノの練習をしていて、俺と父親はドライブに出かけたんだ。

父親はあまり喋らない男だった。幼い俺をもてあましているようにも
見えたが、なんだか嬉しそうだった。話す代わりに低い声で鼻歌を歌っていた。

昼過ぎから出かけたが、特にどこに行くでもなく、いつの間にか夜になっていた。
父親は相変わらず無口だったが、普段見たことのない穏やかな表情をしていた。

「おとうさん、たばこすって」

おったばこか?と、父親は嬉しそうに言うと、グローブボックスからマイルドセブンを取り出し、
ソケットライターを押しこんだ。幼い俺は、長いドライブのため車に酔っていた。
車酔いがつらいとき、いつもタバコをふかしてもらった。タバコの匂いがとても心地よかったからだ。



15 :名無しさん? :03/09/19 21:04 ID:???
車内はたちまち紫煙に満たされ、おれは後部座席に寝転んだ。
窓の外は夜空と、まばらな街灯しか見えない。三日月がずっと、俺のことを
追いかけていた。いつまでも追いかけてきたが、決して追いつくことはなかった。

そんな月を、飽きることなく眺めていた。
その晩の記憶は、そこで途切れている。

翌朝、横たわる妹の傍らで、半狂乱の母親と、やたらとたばこをふかしながら電話を
かける父親の声で目がさめた。その日、妹が着ていくはずだった、いかにも余所行き
という感じの紺色のワンピースが、やけに冷たく、しかし妙に生気を帯びたまま、
ハンガーにかかっていたのを覚えている。



28 :名無しさん? :03/09/19 21:11 ID:???
妹の病名はよくおぼえていないが(もしかしたら病名すらなかったのかもしれない)、
それが最初の発作だった。妹はたびたび昏睡するようになり、母親は妹専属の世話係りに
なっていた。

幼すぎたオレには、妹をいたわる自覚すらなく、母親を奪う憎き存在でしかなかった。
父親は早朝にでかけて深夜に帰る生活で、オレにとっては他人のようなものだった。
肉親はいないも同然だったかもしれない。それでも、特に情緒が不安定になるでもなく、
普通の子供として過ごしていたと思う。



35 :名無しさん? :03/09/19 21:20 ID:???
小学生になって初めて賞をとったことがある。不思議とそのことだけはよく覚えてる。
熱を出して写生会にいけなかったおれは、変わりに妹の寝顔を描いて提出した。
県の展覧会に出品され、それを家族4人で見に行った。帰りにマックでハンバーガーを
食べた。それが最初の家族での外食だった。

おかしな話だが、そのときはじめて、妹も自分と同じ人間だと思った。
それまでは、人形、とまではいかないが、なにか別の生き物のように思えていた。

きっかけというのは、後から考えてみてもよくわからないものだ。
それから毎日、オレは妹と一緒に話し、テレビを見て、絵を描いたり、たまに歌ったりした。
たぶん、それが一番いい思い出だ。



41 :名無しさん? :03/09/19 21:35 ID:???
父親は、オレにとっても、妹にとっても怖い存在だ。
殴ることもないし、怒鳴ることはほとんど稀だ。だが、家に帰ってくる音が
するだけで緊張が走った。酒が入るとすこぶる機嫌がいいが、本気になって子供に
からむ。四の字固めとか、関節技とか平気でかけてくる。妹にも容赦しない。
オレは泣きながら反撃するのが精一杯だったが、妹は「しつこい!」と言い捨て、
父親はそれを聞いてきまり悪そうに引き下がる。

母親はそれを見ておかしそうに笑う。



44 :名無しさん? :03/09/19 21:45 ID:???
オレが中学に上がる前の3月、妹は死んだ。
ラソン大会で2位になるくらいまでに体力はついていたけれど、突然に
昏睡する頻度は増すばかりで、最後の半年はずっと家にいた。
母親はできるかぎり付き添っていたし、買い物に出るときは隣のおばさんに
家にいてもらっていた。

それでも間が悪いとき、というのはある。
母親は回覧版を回すために、家を空けたらしい。空けるといっても、ほんの1、2分だ。
妹は台所で昏倒し、首を折って即死した。普段から、発作にそなえて部屋は極力広く
とってあったのだが、台所は母親がいるので、いくらか雑然としていた。

葬儀の帰り、久しぶりに父親と二人、ドライブに出かけた。



47 :名無しさん? :03/09/19 21:50 ID:???
父親は数年前にタバコをやめ、オレは車に酔うことはなくなっていた。
あのとき追いかけて来た月はオレたちの前を走っていて、当たり前のように追いつけない。

翌年、弟が生まれた。オレの両親は大丈夫だと思った。


10年以上前の話だ。