親からの初メール



451 :長くてスマソ1 :03/02/20 02:16 ID:8cGR1D/m
俺はアトピー持ちで、大学入学後ひどくなって休学→退学して
自宅療法してた。(約2年引きこもり状態)
その後大分ましになったので働かなくてはと思い就職したが
慣れぬ職場のストレスも相まってか、またアトピーがひどくなった。
根性無しだったのと、被害妄想入ったのもあって3ヶ月で辞めた。
でも親には辞めたことは言えなかった。

俺が引きこもってた時、母親が心筋梗塞で倒れた。
大分ストレスが溜まってたらしい。俺のせいだ。
母親が倒れてるのを発見したのは俺だった。
自分で母親を苦しめて、救急車呼んで病院につきそう。
自作自演もいいところだ。
幸い初期の心筋梗塞だったのと、血栓が流れてくれたので、大事には至らなかったが
ストレスは掛けないよう医者から強く言われた。

俺が人生2度目の大逃亡をはかったのはそんな時だった。
母親が知ったらどう思うだろう。辞めた時一番初めにそう思った。
言える筈がなかった。実際言わなかった。

それから偽リーマン生活が始まった。
会社に行く振りをして、公園で就職雑誌を見てた。
折りしも就職難の時代、中退・スキルなし・人見知りする
こんな人間を雇ってくれる所はなかった。
半年ほどそんな生活をした。



452 :長くてスマソ2 :03/02/20 02:17 ID:8cGR1D/m
この変わり映えのない生活にも2つほど変化があった。
母親が携帯を持った。俺のためだろう。
毎日メールを送ってきた。
俺への気遣いに溢れたメールだった。意味もない苛立ちが募った。

もう一つの変化は、目標が軌道修正されたことだった。
就職することから自殺することへの。

この頃になると毎日図書館に通ってた俺は、ある日突然死のうと思った。
今でもなぜ突然そう思ったのかわからない。まともな思考もできなくなってたのだろう。
追い詰められた人間の常として、理性的な判断ができなくなる。
一つの解決案を見つけると、それが絶対無二の方法に思えてくるのだ。
その必然、考えれば考えるほど、死の誘惑に魅せられた。

それからは今までが嘘のように行動が速かった。
まず部屋の整理をした。サッカーが唯一の趣味だった俺は
宝物だったコレクションをすべて捨てた。
とにかく自分の生きた痕跡をすべて捨てたかった。
遺書も書いた。書く前はワープロか手書きか迷った。
これから死のうという人間がそんなことで迷うなんてと思うと
少しおかしかった。
書いてる途中涙が出てとまらなくなった。死にたいのにどうしてだろう。

自殺する予定地はすぐ見つかった。
中学の頃学校行事の一環でいった山に決めた。
人生で一番楽しかった時だ。最後はそこで死のうと思った。



453 :長くてスマソ3 :03/02/20 02:18 ID:8cGR1D/m
その日がやってきた。
その日は朝から家族サービスをした。
父親にネクタイをプレゼントし、母親には血圧計をプレゼントした。
妹は新しい携帯を欲しがってたので、現金を上げた。
夕飯を食べ終わるまでの時間は、久しぶりに楽しかった。

予定通り、友人の家に泊まりにいくといって家を出た。
目的地まで車で3時間。人生最後のドライブ。

目的地についた俺は服を脱ぎ、その場に寝た。
これで死ねるんだ。不思議に怖くはなかった。とにかくこれで終わりにできる。

死ななかった。いや、死ねなかった。
人間は弱いようでなかなかしぶとい。寒さに耐えれなかった。
死ぬことにさえ努力が必要だった。

朝まで車の中にいた。
自己嫌悪でいっぱいだった。自分は生きていくこも死ぬこともできないと思った。
どちらにも所属できない人間は俺だけじゃないかと思った。

そんな時携帯が鳴った。
携帯を処分することを忘れてた。相変わらずの間抜けさに笑いたくなった。
母親からだった。鍵を持っていったかどうか心配するメールだった。
母親に返信を済ませると、履歴を辿って見ていった。
履歴には母親からのメールしかない。
友達と呼べる人間は、大学時代以来いなかった。

母親のメールは顔文字がやけに多かった。それもすべて笑った顔の
顔文字だった。妹に教えてもらったのだろうか。
涙が出てきた。いつからだろう、こんなに涙もろくなったのは。
朝まで泣きに泣いた。



454 :長くてスマソ最後 :03/02/20 02:18 ID:8cGR1D/m
結局に死ねずに家に帰った。
車の中で生きようと思った。良く分からないけどそう思えた。

もう一度就職活動を始めようと思った。
その前に、母親に本当のことを話そうと思った。
その晩母親にすべてを話した。話してる途中また泣きそうになった。

母親はすべて知っていた。俺が会社を辞めたこと。
会社に行く振りをしてたこと。
メールで話を合わせてくれたの?なぜ?当然の疑問を聞いた。
母親はニコニコ笑ってるだけだった。
「あんたが生きてるんやったらそれでええ」それだけ母親は言った。
死ななくて良かった。そう思ったら途端また泣いた。

あれから2年たったけど、今は東京で元気でやってる。
死ぬ気でやればなんでもできる。何回失敗してもまたチャレンジできる。
そんな簡単なことに気づいたのも母親のおかげ。
あのころの携帯はもう使ってないけど、ずっと残してる。
俺の宝物だ。